大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和32年(わ)155号 判決

被告人 篠原一晃 外二名

主文

被告人篠原一晃を無期懲役に、

被告人鎌田久義を懲役十五年に、

被告人佐藤繁を懲役五年に、

各処する。

被告人鎌田久義、同佐藤繁に対し、未決勾留日数中各三百五十日を右本刑に算入する。

押収にかかる小型ジヤツクナイフ一本(証第四号)及び出刃庖丁一本(証第五号)は、被告人篠原一晃からこれを没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人篠原一晃は、六歳の頃母親と死別し、以後姉と共に父親に養育され、新制中学卒業後は、父親の菓子製造の手伝をしていたが、昭和二十九年十二月二十五日父親も死亡したので、それからは姉山下良恵とその夫山下博に引きとられ、同三十二年一月初旬頃まで石工見習や左官見習等の仕事に従事したものの、仕事がおもわしくなく、その後は無為徒食して現在に至つたもの、

被告人鎌田久義は、生後間もなく父親と死別し、熊本県天草郡大矢野町居住の母親スエ及び福岡市居住の兄一徳の下で養育され、熊本商業高等学校や福岡の無線高等学校に入学したが、いずれも中途で退学し、同三十一年九月頃当時居住していた前記母親のもとを飛び出し右兄の処に来たが、数日して同人の預金約六万円を無断で引き出して東京に赴き、暫時牛乳屋やラジオ工場に働いた後、同三十二年一月一日福岡市に帰り友人宅等に宿泊して現在に至つたもの、

被告人佐藤繁は、七歳の頃父親と死別し以後祖父や母親に育てられたが、学校を嫌い、新制中学校三年の中途で学業を放棄し、パン製造職人、左官手伝、金網工場の仕上工等をして働いたが、同三十年二月以降は、定職につけず、時折、大工や土工の手伝等をして現在に至つたもので、

以上被告人等は、いずれも、不遇な家庭的環境の裡に生育し、成長してからも充分な監護を受け得ず今日に至つた。

第一、而して、被告人等はそれぞれ吉田弘道と友人の間柄にあり、当時既に東京で就職して堅実な生活を築きつつあつた右吉田が同三十二年一月一日被告人鎌田と共に福岡に帰省するや、間もなく右吉田を通じて相互に知り合い、その後は遊び友達として交際するようになつたが、被告人篠原、同鎌田の両名は、同月三十一日頃右吉田が再び上京するに当り同人を博多駅に見送つた際、かねて同人より上京を勧められていたので、旅費が出来次第上京することを同人と約束したものの、当時何れも家出同様で定職もなく、生活費に追われていたところから、何とか、旅費を工面して上京を実行し右吉田の様に何かよい仕事に就き度いものと考えるようになつた。

そうして同年二月一日頃被告人鎌田は後示窃盗罪を犯し、それにより現金四万円位を手にする事ができたが、被告人篠原、同鎌田は、右金員で上京する前に、これより先同年一月八日頃右両名が、前示吉田等と熊本に遊んだ際入質していた被告人鎌田の背広や右吉田の学生服等を質受けするため、同年二月二日、再び熊本に赴き右衣類を質受けしたが、同地で遊興に過ぎ且つ被告人鎌田において所持金の一部を紛失したりして、上京旅費に不足するようになり、同月四日一旦福岡市雑餉隈まで帰り、同夜は特殊料理店に宿泊し、所持金も殆んど使い果してしまつた。

翌五日、被告人篠原、同鎌田の両名は、右特殊料理店を出て西鉄雑餉隈駅前附近の映画館に入つたが、同映画館内において被告人篠原が、上京に要する旅費を作るため強盗することを話し出し、被告人鎌田もこれを了承し、更に強盗する場所は、同人等が、かねて入質に行きその家族の状況及び日常の業務状態を知つていた福岡市幸の町四十番地質屋業上村勇次郎(当七十三年)方とし、その方法として、同家が老人夫婦に女中がおるだろうから閉店前に同家の門内に入り門扉を閉め更に閉門のために出て来るであろう女中を被告人鎌田が声を立てないように同女の口を塞ぎ被告人篠原がこれを殺害して屋内に入り、右上村勇次郎夫婦を縛り上げて金の所在を聞いて金員を強取した上右両名を殺害して逃走すること等を話し合い、ここに右被告人両名は強盗殺人の共謀を遂げ、同日夕刻、被告人篠原は、犯行に使用する兇器を購入する金を工面するとともに、右上村質店の状況を確かめるべく、同家に至り、同被告人着用の学生服を入質し、同時に同家の上村サエに家族の状況を聞いて、同家が老人夫婦だけで子供は全部他所へ出ている事を確認し、右入質により得た金で犯行に使用する出刃庖丁を購入した上、暫らく時を過ごし、午後八時頃右上村質店を訪れたが既に閉店後で門内に入れなかつたので、当夜は犯行を見合せ、再び前記雑餉隈に帰つて特殊料理店に宿泊した。

翌六日、被告人篠原、同鎌田は映画を観覧して暇をつぶし、更に同日夕方六時頃前記犯行計画に被告人佐藤を参加させるため同人方に至り、同人に対し交々前記出刃庖丁及び以前から持つていたジヤクナイフを示して前記上村質店に押し入り家人を全部殺害して金員を強取する旨の事情を明かして、見張するだけでよいからついて来いと勧誘し、被告人佐藤は一応躊躇したが結局これを了承したので、同日午後七時頃被告人等三名は打ち揃つて右被告人佐藤方を立ち出で、次いで元気をつけるために、右上村質店附近の酒店で各飲酒した後、右上村質店に至り

(イ)  被告人篠原、同鎌田は、被告人佐藤を伴い、愈々前記共謀にかかる犯罪を実行すべく、同日午後八時二十分頃被告人篠原は出刃庖丁(証第五号)を同鎌田はジヤツクナイフ(証第四号)を各携え右上村質店の表門より被告人篠原同鎌田同佐藤の順で邸内に入り、被告人篠原は同佐藤に命じ門扉を閉めて閂をかけさせ、かくして被告人等は玄関前でやがて右質店の家人が門を閉めるために出て来るのを待ち構えていたところ、数分後右閉門のために同店の女中藤川チエ子(当時二十二年)が玄関口から外に出ようとして硝子戸を開けたので、矢庭に被告人鎌田が刃先を開いた前記ジヤツクナイフを左手にもつて同女に飛びかかり、右玄関内で声を立てられないように同女の口を塞ごうとして揉みあうところへ、更に被告人篠原が前記出刃庖丁を右手にもつて右玄関内に入り、右各兇器で被告人篠原は七回位に亘り、被告人鎌田は二回位に亘り同女をつき刺し、よつて同女に対し、心臓に達する左側上胸部刺創及び胸部大動脈に達する左側胸部刺創等十ヶ所に、刺創或いは切創を与え、まもなく、同所において上記左側上胸部刺創に基く心嚢タンポナーデ及び左側胸部刺創に基く外傷性出血の競合を主因とし、左鎖骨上窩部刺創、右乳嘴直上部刺創、季肋部刺切創、左背肩部の刺創及び切創による内外出血を副因として同女を死亡させ殺害の目的を遂げたが、右犯行に際し同女が悲鳴をあげたのでこれに驚き一物も得ずにその場から逃走し、

(ロ)  被告人佐藤は、被告人篠原、同鎌田が、前記の如く上村質店において同家人を殺害して金品を強取することを知りながら、右両名に従つて右上村質店に赴き、前記(イ)の日時に右両名に引き続いて表門から同家邸内に入り、被告人篠原の指図に従い門扉を閉めて閂をかけ、更に玄関前の東南隅に右両名から少しはなれて佇立し、もつて右両名の前記強盗殺人行為を容易ならしめると同時に気勢を加えてこれを幇助し、

第二、被告人鎌田久義は同年二月一日頃の午後八時頃福岡市上花園町松屋商店街百万ドルパチンコ店内において、同市東一本木町久芳シズ子所有の現金約四万円外、預金通帳二冊メモ帳一冊眼鏡一個(価格千五百円相当)等を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人篠原一晃、同鎌田久義の判示第一の(イ)の所為は刑法第二百四十条後段第六十条に、被告人佐藤繁の判示第一の(ロ)の所為は、同法第二百四十条後段第六十二条第一項に、被告人鎌田久義の判示第二の所為は同法第二百三十五条に各該当するので、被告人篠原一晃についてはその所定刑中無期懲役刑を選択し、同被告人を無期懲役に処し、被告人鎌田久義については判示第一の(イ)の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、右強盗殺人の罪と判示第二の窃盗罪は、同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十六条第二項に則り無期懲役刑により処断することになるが、情状憫諒すべきものがあるので、同法第六十六条、第七十一条、第六十八条第二号に則り酌量減軽しその刑期範囲内において同被告人を懲役十五年に処し、被告人佐藤繁については前示の如く従犯であるから所定刑中無期懲役刑を選択した上同法第六十三条、第六十八条第二号に則り法定の減軽をなし、更に情状憫諒すべきものがあるので同法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号に則り酌量減軽し、その刑期範囲内において同被告人を懲役五年に処し、被告人鎌田久義、同佐藤繁に対しては更に同法第二十一条を適用して各未決勾留日数中それぞれ三百五十日を右本刑に算入し、尚押収にかかる小型ジヤツクナイフ一本(証第四号)及び出刄庖丁一本(証第五号)は判示強盗殺人の犯行の用に供したもので、被告人篠原一晃以外の者に属しないから同法第十九条第一項第二号、第二項に則り同被告人からこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して全部被告人等に負担させないこととする。

(裁判官 吉田信孝 村上悦雄 前田一昭)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例